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30年目の1.17

2025.01.17 高等学校 中学校 中学・高等学校 校長ブログ

晴れ渡る空と、身を縮める冷たい空気の今日は30年目の1.17。

30年前の今日に起きたことを防災白書ではこのように書いています。

 「阪神・淡路大震災について(確定報)▶1995年1月17日5時46分、淡路島北部の北緯34度36分、東経135度02分、深さ16kmを震源とするマグニチュード7.3の地震が発生。この地震により、神戸と洲本で震度6を観測したほか、豊岡、彦根、京都で震度5、大阪、姫路、和歌山などで震度4を観測するなど、東北から九州にかけて広い範囲で有感となった。また、この地震の発生直後に行った気象庁地震機動観測班による被害状況調査の結果、神戸市の一部の地域等において震度7であったことがわかった。」

 この日、私は尼崎にいました。まさにその瞬間のことは今もまざまざと記憶に残っています。遠くでドーンという音が聞こえた次の瞬間、寝床の背中を突き上げるような衝撃と、経験したことのない激しい揺れに、瞬間、生まれたばかりの子どもとともに死を予感しました。恐ろしい記憶です。自宅の外は亀裂の入った道路から噴き出す水、ガスのにおい、倒壊する家々、ビルディング。世の景色が変わり、平衡感覚がおかしくなりました。あの寒い季節に起きたこと、次々とチャンネルが地震情報に変わり、阪神を結ぶ産業の大道路46号線は高速道路が倒壊し、次々と起こる火災の恐怖。消せない炎。町が変わり果てた姿になっていきました。親戚を憂い、ガスボンベ、食料、水を背負い、さらに神戸に向かう夫の背中を見ながら震えが止まらなかったこと・・・。けれど私の恐怖など足元にも及ばない壮絶な被害が起きた大震災。

 この記憶を、明日の子どもたちの命を守る学びにつなげていかなくてはならないと、切に思います。