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『便利さの選択』(2025.2.4.)
2025.02.04 小学校 幼稚園 園長ブログ 校長ブログ
パソコン、携帯電話だけでなく電化製品のほとんどは、次々に品質が改良され、
新しい性能を持った新製品が続々と登場しています。
おそらく、これからもこのような製品の技術はどんどん進化し、
世の中はますます便利になっていくことでしょう。
今まで不可能だったことが可能になるのは、本当に便利なことです。
今までたくさんの時間や労力をかけていたことが
短時間で、しかも少しの力でできてしまうのは、
余った時間や労力を別のことに使えて生活にゆとりをもたらしてくれます。
このように、機械の力を利用して生活を豊かにしていくことは
人間だけにできる特別な技能と言えるでしょう。
でも、本当に便利さから生まれたゆとりを
ゆとりとして使えているのかは疑問の残るところです。
ういた時間を別なことに使い、さらに時間をうかそうと
もっと便利にならないものかと次の便利さを求め続けてはいないでしょうか?
エネルギーの浪費や環境破壊に対しても感覚が鈍くなるぐらい、
人は『便利さゲーム』にどっぷりと浸かってしまっていないでしょうか?
(いくら世の中が便利になっても、ほとんどの大人は毎日毎日忙しく働き続けていますし、
パソコンや携帯電話を駆使して働いている人たちだけが、ゆとりのある生活を送っているようにも見えません。)
人はどこまでこういう便利さを追い求めていくのでしょうか?
子どもたちは遊びに夢中になると時間のことを忘れてしまいます。
なんでそんなことをするの?というくらい手間をかけて
ああでもない、こうでもないと言いながら何かを作ったり、準備したりします。
大人は「そんなことに時間をかけないで、その時間を勉強にまわしたらどうなの?」と考えます。
でも子どもたちにとってはその手間がまた楽しみでもあるようです。
便利さによって人の苦労が減っても、手間暇かけるおもしろみは減ってほしくありませんね。